奈良県の靴下産業

奈良県の靴下産業

奈良県は靴下の生産量が日本一です。

靴下の国内シェアは2012年の統計で約34%、ソックス丈に限ると約56%といずれも堂々の1位。最新の2015年の統計では奈良のソックス丈の国内シェアは約61%とさらに拡大しています。(※奈良県靴下工業協同組合のデーターより)

なぜ奈良で靴下産業が大きく発展したのでしょうか?

 

奈良県で靴下づくりが始まった背景には、江戸時代から栽培されていた「大和木綿」と呼ばれる綿と、その綿を利用した綿糸製糸、木綿織物の存在がありました。

大和盆地が常に水不足な土地であったため、少ない米の生産量を補うために木綿が盛んに栽培されるようになり、人々は機織りの工賃で生計を立てていました。

 

しかし、明治時代に入り海外との交流が盛んになると、日本にも近代的な紡績技術が導入され、当時の紡績機で扱いやすく毛足の長いインド綿が大量に輸入され、日本での綿作りは瞬く間に衰退したといわれています。

 

そんな紡績に近代化が進む中で、馬見村(現在の広陵町)の吉井泰治郎氏が着目したのが靴下製造でした。糸屋を生業としていた吉井家の泰治郎氏は海外視察の際に、手回しの編み立て機を持ち帰り、機織りに代わる仕事として靴下製造を始め、農家の副業から本業へと発展しました。

そこから、靴下作りが周辺の地域に広がっていったのです。

 

その後、戦後に東洋レーヨン社(現在の東レ)が1951年にナイロン糸の本格生産を開始したことがきっかけで、国産ナイロンの生産量が飛躍的に増加。このナイロンを靴下製造の素材として使うことで、伸縮性がありフィット性に優れた靴下となりました。

 

奈良県広陵町は、このナイロン製の靴下の製造で大きく発展し、やがて靴下生産量日本一の町になったのです。

 

家電をはじめ、各ジャンルで高品質の製品を生み出している日本は、靴下も例外ではありません。

 

『奈良の靴下』は、外国産の靴下が輸入される以前の、国内で競争を勝ち抜いてきた、確かな品質の靴下です。

 

目の肥えた日本の消費者の要求を満たし、兵庫・東京・大阪・名古屋等の各産地との競争に勝ち抜いた奈良は、1961年より一番の産地として、その品質を守り続けています。

 

まずは、その原料の産地であったことが、品質を維持できた大きな理由です。そのため、良い原料が入り、良い加工業者がここに集まってきました。

 

そして、原料・染色・編立・縫製・刺繍・仕上げ・装飾加工の各工程に多くの業者が携わることで、互いに切磋琢磨する良い競争の原理が働いたのです。

 

つま先の先縫い糸の細さから、かかとの深さまで、消費者の目線で、職人が細部にまでこだわった靴下。今日まで続けてきた、そのこだわりが、今のこの品質を生み出したといえます。

 

長い歴史の中で靴下の技術が磨かれ、高付加価値化や原価低減などの工夫を凝らし、日本製の靴下とりわけ奈良産の靴下は年々需要が高まっています。

 

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